はじめに
日韓の議論の中で「狩り」という言葉が用いられて久しい。
当初、修辞に過ぎなかったそれは日韓の論客を取り巻く環境の変化に伴い、
全く別の方式を指す用語へと変貌し、その是非を巡って議論が行なわれ来た。
しかし、その多くが道義的問題に関して論じられる事が多く、
「狩り」そのものに対する具体的考察を見る事は極めて少ないように思われる。
そこで、本稿においては「狩り」の分析を行うと共に、
それへの対処法に関して考究して行く事とする。
Ⅰ 「狩り」とは何か
「狩り」は、より普遍性・妥当性を持つ結論へ至る事をのみ目的とした、
「議論」とは聊か異なる行為である。
「狩り」は大きく分けて三つの階梯を持つ。
1)第一段階
まず、狩人が特定の論者に対してその主張の妥当性を問う。
ここでは挑発的な言辞が用いられる事はあるものの、基本的に普通の「議論」が展開される。
2)第二段階
狩人が主張の妥当性を失った論者の「自己像」に打撃を加える。
徹底的な罵倒や嘲笑によって「自己像」が毀損、或いは破壊される。
更に、情況によっては甚だ不名誉な「自己像」を強制的に付与される事になる。
3)第三段階
論者自らの手によって「狩り」の効果が拡大される。
この段階に至ると、狩人の主体的行動は殆ど見られない。
Ⅱ 「狩り」の本質
「狩り」の本質は論者の「自己像」への直接打撃にある。
論だけではなく、論者そのもののを無力化する方法論と言えよう。
また、「自己像」の肥大化の度合いと打撃の効果は比例する。
故に、極端に肥大化した「自己像」を持つ韓国人に対しては極めて有効である。
Ⅲ 「狩り」の発動条件
「狩り」が本格的に発動するのは第二段階に至った時である。
何故なら、第一段階のみで終息した場合は単なる「議論」に過ぎないからである。
その発動条件に関しては多くの要素が考えうるが、
傾向として論者の主張の崩壊が共時的に認識され、
かつ、論者のみがそれを理解しない時に発動されるようである。
Ⅳ 「狩り」の効果拡大
「自己像」を毀損、或いは破壊された論者はこれの回復を企図して様々な行為を取る。
但し、現在知り得る全ての事例において、何故か合理的な対処が行なわれていない。
往々にして論者は相手の権威の否定や議論の継続を求めて奇矯な行動を取り、
その事自体が「狩り」の結果を決定付け、効果を拡大するのである。
これは「自己像」の崩壊がもたらす精神的苦痛が合理的判断を不能とするためか、
或いは元よりそのような事が出来る者は「狩り」の対象とされないという事なのか不明である。
Ⅴ 「狩り」への対処
「狩り」への対処法として最も効果的なのは、第二段階への移行を阻止する事である。
妥当性を十分に担保した主張を行い、批判を粉砕するのが最良の方法と言えよう。
この点で、綿密な調査と論理的考察によって構築された事実論題を展開するのが適切である。
政策論題、価値論題は根拠の事実性を否定された時に極めて脆弱であるので注意が必要となる。
特に価値論題は容易に相対化されてしまう為、非常に危険である。
おわりに
以上、「狩り」に関する考察の結果、通常の「議論」をより精緻に行なう事で発動を阻止できる事が分った。
また、情況に応じては逆に相手に対して「狩り」を仕掛ける事さえ可能となるだろう。
但し、そのような意思と能力を韓国人に如何に付与するかという問題がある。
また、既に第三段階に至った論者が如何に「自己像」を回復するかという点に関しても考察すべきであるが、
これらの点に関しては今後の課題として、本稿は一先ず擱筆としたい。