ベトナム戦争中の虐殺
ソンミ事件
ベトナム戦争に参戦した韓国軍が、中部ベトナムの各地でひきおこした住民殺害。
アメリカ軍が起こしたソンミ事件とは別の事件である。
韓国軍が一九六四年九月から七三年三月までベトナム戦線に送りこんだ兵力は、アメリカ軍に次ぐ延べ約32万人の大兵力で、戦死5077人、負傷者1万962人の揖害を出している。朴正煕大統領はそれと引きかえに、アメリカから10億ドル以上の経済援助を獲得したとされる。
当時から韓国軍の「虎」師団、「白馬」師団、「青竜」海兵部隊の精強ぷりは有名だったが、彼らが犯した戦場
の非行はタブーとして久しく公表されずにきた。民主化の進行でそのタブーが解けはじめたのは、ベトナム戦争終結25周年に当る2000年に入った頃から
で、朝鮮戦争中の米軍による韓国難民の殺害(老斤里事件)に刺激された形で、ベトナム留学体験を持つ韓国の女子大学院生が「ナワウリ」という韓国NGOの
協力で雑誌『ハンギョレ21』に一部を発表、AP通信がベトナムの現地調査を進めて大きく報道された。
APの調査によると、韓国軍の非行は、老人、女性、子供を含む一般村民の集団殺害、毒ガスの使用、レイプ、殺人など約80件、被害者は8000人ないし9000人と推定されている。
なかでも、有名なソンミ(ミライ)に近いビンアン村が1989年に建てた記念碑には、「米帝国主義の傭兵である韓国軍が1966年2月2日に380人の村民を虐殺した」と記してある。州庁官吏の説明では66年初期に、この村は韓国軍に15回襲撃され、6000人の住民のうち1003人が殺されたという。
他にもビジホア村で403人、ドウイホア村で250人の殺害(いずれも66年)が伝えられているが、ベトナム政府は、このところ密接化しつつある韓国との経済関係を重視してか沈黙しており、米軍や韓国軍もコメントを避けている。
65年から69年にかけベトナム派遣軍総司令官だった蔡命新将軍は、APに対し「一般村民とゲリラ(ベトコン)を見分けるのは事実上不可能だった」「昼間は友好的な村民も夜はゲリラに早変わりした」「仲間を失った兵士たちが復讐心に かられるのは やむをえない」などと語り、事実上認めた形となった。
2000年12月ソウルで開かれたシンポジウムでも、指揮官クラスの人々は「新聞、雑誌は二度と記事を載せるな」「韓国の資本がベトナムヘ入って感謝されている。不幸な過去をとりあげるのは国益に反する。ベトナムから補償要求が出たらどうするのか」と反発した。元従軍将校や兵士達の中から、事実を認める参戦軍人の証言を掲載したハンギョレ新聞は、退役軍人の集団に襲撃、放火され、社員たちが傷つけられる事件を起こされている。
韓国の金大中大統領は98年にベトナムを訪問したさい、「遺憾」の意を表明、2001年8月にはソウルの首
脳会談でベトナムのルオン大統領に対し謝罪したが、それは日本の加害責任を問いつづけている手前もあっての外交カードではないかと解釈されている。(直後
に、謝罪撤回)
別に韓国兵がベトナム人女性(慰安婦をふくむ)との間に残した5000人とも3万人ともいわれる混_血_児の問題も、注目されるようになっている。
参考文献
野村正彰「ベトナム戦の罪真に向きあう韓国」
秦郁彦/監修 佐瀬昌盛/監修 常石敬一/監修『世界戦争犯罪辞典』
The Asahi Evening News Apr. 8, 2000
Newsweek Apr. 10, 2000
Michael Jones, Allies Called Koreans : A Report from Vietnam
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