Korean History
朝鮮半島と独立国家
1894年7月 朝鮮の独立問題を争点に日清両国は緊張を高めていた。
↓清
朝鮮は我が服属国よ!これを独立させようとする日本は許せないわ!
清国は葉志超、左宝貴、衛汝貴、聶士成の四名を司令官に63万人の兵力を動員させ朝鮮に殺到させた。さらに豊島沖で初めての海戦が行われるに至り、両国は宣戦布告を行った。日清戦争の勃発である。
↑清国の国旗
=一方その頃、日本は…=
↓日本大本営
さて、私たち日本がこの戦争に勝つ目的だけど…
↓日本海軍
わかっております!友邦・朝鮮を独立させることですな!
ああ。それ、オマケみたいなもんだから。
は…? オマケですと?
だって、そうでしょう? 何だって私たち日本人が朝鮮ごときに命を掛けなきゃならないのよ。
いや…、しかし…兵の中には朝鮮を独立させるための正義の戦いだと信じている者もおりますが……
ええ、お気楽な兵士たちの中にはそれを本気で信じている人もいるわね。
でも、正直日本の上層部としては朝鮮がどうなろうと知ったことではないのよ。…ま、独立はさせてあげるけどね。
我が日本の目的は、清国軍をコテンパに叩きのめして欧米に日本の力を知らしめることよ。イギリスやアメリカは北のロシア
を恐れている。それでロシアの防波堤にするために清国を支援している。でも清国なんか支援しても無駄だ、アジアで支援すべきは日本だということを彼らに教
えてあげるためには、我々が清国を倒すしかないわ。清を倒せば彼らの考えも変わって、日本もイギリスなどと結んだ不平等条約改正の糸口が見出せる。
つまり、この戦いはあくまで日本のための戦いなのよ。
(※ちなみに、これは陸奥宗光の蹇蹇録を参考にしている)
凄まじいばかりのマキャベリズムですな。
何とでも言って。所詮、戦争なんて頭に血が昇ったら負けなのよ。
たぶん我々に戦争のダシにされたあの民族には永遠に解らないでしょうけど。
こうして日本軍は順次、部隊を朝鮮半島に送り込んだ。そして8月26日には日本と朝鮮は日朝同盟を締結。共同して清国軍に当たることになった。
↑日本軍の進路
しかし、朝鮮に上陸した日本兵たちは付近住民たちの思わぬ反応に驚く。
何ですって?!お金を渡して雇った朝鮮☆人労働者が皆、逃げてしまったですって?!
…どうやら我々は歓迎されてない様子ですな。
=朝鮮住民の反応=
ウワーハハハ!日本人を騙して金を奪ってやったNIDA!
ふふふふふ、どうせ日本人なんて巨大な清国に負けるNIDA。
日本人、皆、死ぬNIDA。そして日本人の財産は皆、URIたちのものになるNIDA。
=朝鮮宮廷=
何よ!これじゃあ日朝同盟なんて意味ないじゃない!
↓金弘集(朝鮮総理大臣)
………面目ない。
しかし、これは困りましたな。朝鮮住民の協力が得られないとなれば、我々は補給に問題をきたすことになります。
仕方ないわ!こうなったら強行軍でもいいから早々に清国軍が占領した平壌を落とすわ!日本優位だと見れば住民たちの考えも変わるかもしれないわ!
=一方の清国軍は…=
あ、宗主国様の軍隊NIDA。
URIたちを助けに来てくれたNIDA。
ありがとうございます、宗主国様。URIたちは清国の忠実な下僕です。悪い日本と王妃を監禁した悪い売国奴たちを倒して欲しいNIDA。
ふふふ、我々は歓迎されている様ね。
ではお前たちに命ずるわ!我々のために食料と労働者を供給しなさい!
え…そ、それは…
今年もURIたちの村は飢饉だったNIDA。だから食料を清国軍に渡したら生きていけないNIDA。
できないと言うの?! ならばお前たちを殺して奪うのみ!!
ひ、ひいい?!逃げるNIDAー!
宗主国様がお怒りNIDAー!
清国軍は大軍だったためにその兵站も膨大な量に昇った。そして、それは鳳凰城の兵站基地や北洋艦隊が輸送するものだけでは賄い切れなかった。
だから清国の司令官、葉志超と衛汝貴の二名は率先して朝鮮での掠奪を奨励したのだった。
ちょっと殺しすぎちゃったかしら? ま、いいわ…。どうせ朝鮮☆人だし…
ちなみに中国の記録には、これと同じような記述がしばしば登場する。しかし彼らは朝鮮を哀れむことなど殆ど無く、むしろ叛徒どもを殺傷したという下りで書かれた文章が多い。
二十六史大辞典・清史稿(清の歴史書)
だが戦闘はより近代的な戦術思想を持つ日本軍優位に進んでいった。平壌戦では清国の将軍の一人、左宝貴が戦死。また黄海海戦でも日本海軍の奮戦で北洋艦隊を打ち倒した。
=黄海海戦=
わはははは!いかに優れた軍艦を敵が持っていようと、戦いは新しい戦術を生み出した者が勝つのだ!
く…こちらは定遠、鎮遠という浮沈艦まで持っているのに、あんな小船に勝てないとは…
そして清国軍を朝鮮から追い出した日本軍は、ついに清国領まで進駐。10月には大山巌が率いる日本陸軍・第二軍が金州に上陸、11月には旅順を陥落させた。
残る威海衛は2月に日本軍の総攻撃を受けて降伏した。
北洋艦隊の提督・丁汝昌は兵士たちの助命を嘆願すると自ら毒を飲んで自殺。日本軍は彼に最大の敬意を示し、兵士たちの命を助けたばかりか、彼の遺体を軍艦を持って輸送させた。
↑降伏する清国の将軍たち
そして1895年4月、清国は日本との和平交渉に応じて、下関で和平条約を結んだ。世に言う下関条約である。これによって朝鮮は国際的に独立国と認可された。
下関条約内容
第一条 清国は、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。
第二条 清国は、左記の土地の主権並びに該地方にある城塁、兵器製造所及び官有物を永遠に日本に割与する。
第三条 清国は、遼東半島、台湾、澎湖諸島を日本に割譲する。
第四条 清国は、賠償金2億両(約3億円)を日本に支払う。
第五条 清国は、沙市、重慶、蘇州、杭州を日本に開放する。
第六条 清国は、日本に最恵国待遇を認める。
=朝鮮内閣府=
この条約によって、我が朝鮮は清への貢納を免除された。だが問題はこれからだな。
この条約によって朝鮮は独立国家として国際社会に認められた。しかしその独立は、朝鮮が自力で戦って得たものではないことは明らかだった。そのため国際社会における朝鮮の発言力は、きわめて小さなものになってしまったと言える。
これが朝鮮にとって大きな悲劇を招くことになるのだった。
〈オマケ〉
教えて!大統領!
独立門が出来たのっていつですか?
↑独立門
そんなのURIたちが、卑劣な日本に独立闘争をして、
独立した時に決まっているNIDA!
※違います。本当は清から独立した記念として1896年に造られました。