去年秋くらいの仕事だ.
日暮れ時から小雨がしとしとと降って温度ががたっと落ちたら体が震えてコンディションが非常に悪かった.
到底運転ができないようで暗くなる帰途にタクシーに乗った.
体の具合は良くなかったがタクシーおじいさんがあれこれものをかけて来るのに黙ることもできなくてあらゆる話を交わした.
そうするうちに軍隊話で話題が移した.
おじさんは若くてベトナムに 派兵された事があると言った.
こんなに雨がぼろぼろ内里は私をならまたベトナムへ行きたいと言った.
私はそれほど苦労した所にどうして行きたいかと問い返した.
するとおじさんのお話が...
戦争は無惨なことだが人を殺すことはその頃としてはおびただしいストレス解消方法だったと言った.
人血におい... 切られられた腕と足... それを全身に塗って作戦に出ればベトコンたちがピネムセを嗅いで先に逃げだしたと言った.
おじさんは作戦部隊に後で補充投入されたがベトコンたちが韓国軍さえ見ればすぐ逃げだしたから熾烈な白兵戦は経験して見られなかったと言った.
そして "グィシンザブヌン海兵隊"という称号も当時ベトコンたちが "韓国軍は人だけではなく鬼も取って頭皮をむく"と言ううわさをまき散らしながら生じたことだと誇らしがった./P>
初めにはベトコンの髪を刈って腰につけて通ったがそれがかなり重くて面倒で後には頭皮だけむいて腰につけて通ったと言った.
もちろん生きている人の頭皮をむいたのだった.
当時韓国軍は我軍犠牲者が一人生ずる度にベトコン 10人を血なまぐさく殺したと言った.
後には憤りが解かなくて韓国軍犠牲者が発生した作戦では該当の村住民全体を皆殺しさせたと言う.
韓国軍の死亡はベトナムである全体の死よりも重要な事だった.
初めには大人しく作戦を進行している途中韓国軍が一人でも死ぬ瞬間から韓国軍全体が復讐にあまりにも嫌いで飛びかかるというのだった.
後にはベトコン指導部で韓国軍との戦闘を禁止させるほどだったからその悪毒さと残忍さは想像を越すことであろうだと...
なおさら体の具合も良くない状態でそのおじさんとの対話は恐怖談を聞くようだった.
韓国に帰って来た以後でも時たまストレスがひどい時はまたベトナムに送ってくれたら良いなんて...
家へ来ながらこんな考えをした.
罪のないベトナム人たちにこれが一体何の仕業か./P>
もし私たちが頭皮をむきたい相手がいたらそれは日本人ではなければならない.
私たちの累と娘を戦地に連れて行って美しい人生を踏み躪って, 私たちの兄弟たちを戦地に連れて行って重労動に酷使させながら一銭の月給も与えなかった日本.
率直に言って今も日本人が持っている韓国人の印象はどうか.
"私たち日本の植民地奴隷だったやつらがもう少し発展したと生意気だね."と思っていないか.
そんな日本人に何の話し合って何の説得ができるか?
私たちが日本人に "君逹が力で私たちを踏み付けた時の記憶をいかしながら私たちを軽蔑しないでください."と要求すると聞いて心に留めて聞くやつらではない.
それなら方法は?
私たちが復讐をしなければならなかったらすぐ日本にならなければならない.
日本人の首を首をして頭皮をむいて腕と足を切ってその血を被って日本人を探して出なければならない.
弱者に残忍で強者に卑屈な日本人の特性を照らして見る時ただ一つ方法は 日本人を悽惨に殺戮するとか屠戮することだけだ./P>
私たちはそういう復讐をする権利がある.
人間以下の取り扱いを受けた韓国人だ.
今も日本人は韓国人を軽蔑する.
もう私たちはその "軽蔑"に対して血なまぐさく答えてくれなければならない.
私たちは日本人を殺す権利がある.
日本人の血を飲んで乾杯する権利がある.
ベトナム良民を虐殺した事実を反省しよう!!!
日本人に施さなければならないことをベトナム人にした事実を反省しよう!!!
もう復讐の対象をまともに尋ねてベトナム人にした方式そのまま日本人にしよう!!!
日本人にとってこの世の中に生まれたことを後悔するようにしてくれよう!!!