今日のお題 『凌遅刑』
さて、今日は韓国の伝統的な刑罰である『凌遅刑』について説明するわよ。
凌遅刑? 何ですか、それ?
凌遅刑とは韓国の処刑方法の一つでね。囚人をなかなか殺さず、肉を削ぎ、じわじわと甚振り殺す方法を言うの。
なななな、何ですか?! 何でそんな酷い刑罰が韓国にあるんですか?!
元々は中国で生まれた刑罰だったみたいだけどね。でも、中国の影響が強かった韓国では、中国以上に頻繁に行われたみたいね。
で、でも残酷すぎます。どうして韓国ではそんな刑罰が行われたんですか?
下等民族だからだろ。あいつら・・・弱い奴には強く出る事大主義者だし・・・
戦後の日本で掠奪暴行・・・ベトナムでは大量虐殺・・・
まあ、キョンたちの言うことは、だいたい間違ってないわ。彼らが19世紀後半にいたるまで拷問、残虐な刑罰を残していた理由は、大きな理由として民衆のストレス発散という向きがあったの。
物騒なストレス発散方法だぜ・・・
いいえ、古代において処刑は民衆を慰撫させるための一つの手段でした。欲求不満を溜めていた民衆にしてみれば残酷な処刑は、日常を忘れるための見世物と同じ。いわば娯楽と同じでした。
しょ、処刑が娯楽と同じなんですか?!
まー、現代の人からは納得できない部分があるかもしれないけどね。でも今だって、ストレス発散にホラー映画見る人がいたりするでしょう?あれと同じだと思ってくれていいわ。
人類の歴史は娯楽と退廃と残虐性の歴史…
そういえば、フランス革命の時のギロチンは、割りと民衆は喜んでやっていたと聞いたな。
あと有名な処刑方法にファラリスの雄牛とか焙烙とかあるわね。あれも民衆を慰撫させるために作ったらしいわ。もっともファラリスの雄牛は、囚人が死ぬ姿が見れないとかいう理由で廃止になったんだけどね。
うう・・・怖すぎます。
まあ、凌遅刑の話に戻すけど、この刑は近代になってからも続けられていた。囚人から削いだ肉は漢方薬として重宝され、国の運営する医院とかで購入できたの。あと記録によると刑の執行中に待ちきれず肉片を食べてしまう人たちもいたらしいわね。
怖ろしきカニバリズム・・・
やはり連中は野蛮人・・・
あと安重根が処刑された後、日本人の報復を恐れた韓国人たちは、安重根の肉を食わせろと総監府に詰め寄せたこともあったそうです。彼らの食人は憎い相手に対する復讐の手段でもありました。
でも・・・今もその刑罰が行われているわけではないですよね?
当然よ。韓国は日本に併合され、その時に拷問や残虐な刑罰は禁止されたわ。日本が韓国の拷問や残虐な刑罰を禁止したことは、世界的に賞賛を浴びたわ。
ちょっと待った!
AIGOO! この日本人は嘘吐きnida!日帝は韓国で数々の残虐な行為を行ったnida!拷問は日帝の発明nida!
・・・・・・・・誰?
大人気韓流ドラマの主役、チャングムとはuriのことnida!
ああ、あの白色文化のくせに色つきの服を着ているドラマの・・・
巨大蜘蛛が登場する捏造話の原作の・・・
この前、ドラマでは料理している時にガスコンロを使ってましたね。昔の話なのに・・・
きいいー!言ってはいけない真実を言うなんて! かんしゃく起こるー!
・・・・で、そのチャングムが何の用?まさか一発ギャグをかましに来たとか?
違うnida! 韓国人は文化的nida! 残虐な日帝と違って、文化的な韓国人は、そんな酷いことしていないnida! 全部日本の捏造nida! 残虐な死刑をするのは日本人ぐらいnida!
・・・・・あんた今までの会話、ちゃんと聞いてた?
いや、聞いてないだろ。
人の話を聞かないで叫ぶのは、韓国人の特徴・・・
だから国際会議でも除け者にされるんですね。
きいいー!そうやって日本人はいつも韓国人を馬鹿にする!Uriを馬鹿にするな!尊敬しろ!
いや、尊敬するのは絶対に無理だと思うが・・・
ま、いいわ。とにかく、このチャングムは「韓国では凌遅刑なんて行われていない。みんな日本の捏造だ」と言いたいわけね?
そうnida! みんな日本の捏造nida! 誇らしい大韓民国は地球で唯一優秀で文化の担い手として、どの時代においても優秀性を誇り、平和的な民族で・・・・
じゃあ、ちゃっちゃと凌遅刑が韓国にあったという証拠をあげるとしますか。
壬午事変
壬午事変とは、1882年7月23日に、大院君らの煽動を受けて、朝鮮の漢城(後のソウル)で大規模な兵士の反乱が起こ
り、政権を担当していた閔妃一族の政府高官や、日本人軍事顧問、日本公使館員らが殺害され、日本公使館が襲撃を受けた事件である。この事件によって大きな
利益を得たのは清国だった。大院君は清に連行され、李鴻章による査問会の後、天津に幽閉された(1882年8月)。
また韓国政府は「大逆不道罪」で官吏である鄭顕徳・趙妥夏・許焜・張順吉、儒学者の白楽寛、金長孫・鄭義吉・姜命俊・洪千石・柳朴葛・許民同・尹尚龍・鄭双吉は凌遅刑により処刑し、遺体を3日間曝した。なお、その家族一族郎党も斬首刑となった(1882年10月)。
国立図書館歴史資料(『近世朝鮮史』)より抜粋
金玉均
金玉均(きんぎょくきん、1851年 1月23日- 1894年3月28日)は朝鮮の政治家。李朝時代後期の開明派として知られる。字は伯温、号に古愚。安東生まれ。1894年3月28日上海で閔妃の刺客、洪鐘宇に暗殺された。遺体は朝清国軍艦咸靖号で本国朝鮮に運ばれ凌遅刑に処された。その遺体はバラバラにされ、胴体は川に捨てられ、首は京畿道竹山、片手及片足は慶尚道、他の手足は咸鏡道で曝された。
(遺体をバラバラにする行為が凌遅刑かどうかは別として、韓国では遺体を辱める刑罰が近代まで存在した)
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ドドーン!