古写真と絵画でみる平壌
朝鮮時代,朝鮮有数の都市(村?)であった,
平壌の古写真と絵画を集めてみました。
素朴で牧歌的な風景をお楽しみください。
「平安監司饗宴図」 月夜船遊図
城外から見た平壌城。手前の川は大同江。中央の甕城を擁した二階建ての門は大同門。
右側のL字型の建物は練光亭。
大同門と大同江
上の絵とほぼ同じ視点。大同門は平壌城で最も重要な門であった。
手前の大同江べりには船着場があった。
「平安監司饗宴図」 練光亭宴会図
城内から見た城内から大同門(右),練光亭(左)。奥の川は大同江。
平壌旧市街
上の絵とほぼ同じ視点。藁葺き屋根の多い素朴な町並み。
「平安監司饗宴図」 練光亭宴会図
練光亭での宴会の様子。多数の妓生や清人の姿が見える。
練光亭,鍾閣
「平安監司饗宴図」 浮碧樓宴会図
こちらは浮碧楼での宴会。中央が浮碧楼で,左の小山が牡丹峰。
牡丹台と大同江
河べりの崖上にあるのが浮碧楼。牡丹峰上にあるのは最勝台。
平壌で最も景色のよい所とされたようで,このアングルの古写真等は多い。
浮碧楼 平壌名物・妓生が多く見える。宴会であろうか。
浮碧楼と妓生
大同門
朝鮮平安道監司の行政庁・宣化堂 1894年
乙密台
玄武門
普通江を渡る嫁入り行列
平壌大同江畔(牡丹台の遠望)
牡丹台の入口,転錦門
大同江の渡舟
大同江の水汲み
大同江で洗濯
普通門
ちなみにこれは現代の北朝鮮の洗濯風景w 恵山市/長白県城より撮影
朝鮮時代末期の首都・漢城の人口は20万人前後であり,
平壌が6万人,開城が3万人程度であったようです。
ちなみに日本では,江戸は130万人前後,大坂は約40万人,
京都は約40万人,名古屋と金沢が10万人程度でした。
【付録】
大坂 1860年代
中央の川は大川。
京都 1877-87年頃
四条大橋西詰から見た祇園町。
これが真実ですw
(=´ω`=)y─┛~~