今は忘れた話
しかし実際あった話だ.
私のお婆さんが小学校学生がオッウルテ
日本が敗亡して韓国が独立をした.
お婆さんが住んだ村には
日本から来た日本人小学校先生がいた.
日本人先生は
"朝鮮の子供を教えたい " と言って
家族たちと一緒に韓国に渡って来て韓国の田舍で
子供達を教えていたが中間に 日本が戦争に敗れるようになったことだ.
日本がペマングハドンナル夜に人々は逃げだす日本人先生と家族をつかまえたし
日本人先生は
" 申し訳ありません. 本当に申し訳ございません "
と容赦を求めていた.
その日本人小学校先生は韓国学生たちにとてもよくもてなしてくれて
暖かくしてくれたから 容赦を求めている先生の姿を 見たお婆さんとお婆さん友達は鬱気
始めた. 怒った村人々は
"日本人を皆殺しなさい. ハンノムも日本に帰ることができないように残しておかないで "
と叫びながら日本人先生をひいて通った.
お婆さんは日本人先生と先生の家族をその晩以後でまた見られなかったと言う.
後でうわさによれば近く山で先生の死骸が発見されたと言う.
お婆さんは
数十年が去る今にも 人々にかけて積もって容赦を謝っていた
その日本人先生の姿が記憶で忘れないすべてで言った.
日本人の過ちも, 韓国人の過ちでもない
歴史が作り出した 悲劇である