江戸時代の高級料亭番付
江戸時代,庶民はさまざまなものをランキングして楽しんでいました。
相撲では力士の序列を「番付表(banzuke-hyoh)」というリストにしていますが,
庶民はこの「番付表」になぞらえた,さまざまなランキングリストを作っています。
1791年の相撲番付 日本相撲協会所蔵
今回は江戸の料理茶屋をランキングした
「即席會席 御料理(Sokuseki kaiseki O-ryohri)」をもとに,
江戸時代の高級料亭を見てみましょう。
「料理茶屋」とは現在の料亭に相当します。
「即席會席 御料理」1859年
この番付表には184店載っています。
他の数種ある番付を照らし合わせると,
このような料亭は江戸中に300店以上あったらしい。
「即席會席 御料理」1859年に掲載されている料亭の中でも,
現在も営業を続けている店を選んでみました(平清を除く)。
かたくなに伝統を守る,生 きた文化財ですね。
茶屋の庭園 撮影年代不詳
1 八百善(Yaozen) 【勧進元?中】 創業: 1716年
番付によっては,平清や嶋村は大関や行司になったりするが,
八百善だけは,すべての番付で勧進元となっている。
万人の認める最高級の料理茶屋だったのである。
『江戸流行料理通』(1822年) 八百善亭
豊原国周 「美立会席八景 石浜の秋月」 1875年
扇地紙形枠内に「山谷八百善(San'ya Yaozen)」とあり,風景は隅田川。石浜には上客用の別荘があった。
人物は柳橋金子屋の芸者・小竹。
『江戸流行料理通』 1822年
四代目主人・栗山善四郎による料理本。
献立や料理のコツについて記されている。蜀山人らの序,大窪詩佛による題辞,谷文晁・葛飾北斎・酒井抱一・北尾政美らの挿絵など,当時の一流文化人が本書作成に参画しており,当時の料理屋としての繁栄ぶり,主人の一流趣味人ぶりを垣間見ることが出来る。
八百善の黒いなり
現在も銀座や青山,両国や新宿で営業してますね。
平清のロゴ(家紋) 『江戸買物獨案内』(1824年)より
2 平清(Hirasei) 【勧進元?右】 創業: 1804-1818年頃 廃業: 1899年
深川(Fukagawa)土橋にあった平清は当時高名な料理屋。
寺門靜軒は『江戸繁昌記』(1832年)の中で平清について,店構えや食器もよく,料理は上等と大層ほめている。
「東都高名会席盡 平清」 1852年
人物は料理屋「平清(Hirasei)」の屋号にちなんだ平清盛(TAIRA no Kiyomori)。
平清への客の多くは絵にあるように屋根舟を利用したという。
この店は残念ながら,明治時代に廃業してしまいました。。
3 嶋村(Shimamura) 【勧進元?左】 創業: 1850年
食通として知られる文豪,永井荷風も通ったという老舗の割烹料理店。
開業は江戸時代の12代将軍・家慶の時代。江戸城西の丸の御用達も勤めた。
名物「金ぷら(kimppura)」と呼ばれるごま油で黄金色に揚げた天ぷらはの由来は,
その色からではなく西の丸に納めた後,料理番の役人が客を饗応するために,
天ぷらの下に小判1枚を敷くのだが,その小判を入れやすいような盛りつけしたから。
毎週土曜日は幕末に江戸城に納めた料理の再現「幕末懐石」を味わえるらしい。
嶋村の料理
現在の嶋村
4 亀清楼(Kameseiroh) 【行司】 創業: 1854年
神田川が隅田川と合流するあたりに柳橋がある。柳橋は江戸を代表する花街。
ちょうどその橋の畔にある。かつて多数あった「柳橋の料亭」の唯一の生き残り。
成島柳北は「酒楼おびただしく江都に冠たりといえども,
酒肴はほとんど亀清楼に及ぶものなし」と『柳橋新誌』の中で最大の賛辞を送っている。
森鴎外の「青年」や永井荷風の「牡丹の客」,舟橋聖一の「花の生涯」等,
有名な文学作品にも登場する。国技館に近い場所柄もあって古くから横綱審議会が行われている。
現在建物はビルに代わり,料亭から気軽に利用できる日本料理屋となっている。
歌川国貞(3代豊国) 「今様美人揃 隅田川慕情」 亀清楼 19世紀中頃
亀清楼と柳橋 明治初期? 亀清楼(手前)柳光亭(奥のビル)
亀清楼の料理
現在の亀清楼
5 魚十(Uojuu) 【2段目】 創業: 1688-1703年頃
元禄以来の歴史を誇る店。
現在「魚十」のある場所は江戸時代は通油町といった。現在は中央区日本橋大伝馬町。
年中行事や婚礼,仏事の料理から本膳料理まで手がけていた。
大伝馬町界隈にあった大丸(Daimaru)呉服店(現・大丸)にも仕出ししていたが,
大丸呉服店の顧客であった「南総里見八犬伝」の作者・曲亭馬琴(Kyokutei Bakin)は,
買物の後そこで供される料理が美味しいと日記に記しているらしい。
歌川広重 「名所江戸百景 大伝馬町呉服店」 1856-58年 大丸呉服店 明治初期
小町弁当1700円
現在の魚十
扇屋のロゴ(家紋) 『江戸買物獨案内』(1824年)より
6 扇屋(Ohgiya) 【最下段】 創業: 1648年
王子稲荷前で営業。
落語の「王子の狐」にも登場して知られており,現在も営業を続けている。
初代が農業のかたわら掛茶屋を出したのが始まりで,料理屋になったのは1799年。
「東都高名会席盡 扇屋」 1852年
人物は「須磨都源平躑躅」(Suma no miyako GenPei tsutsuji)に登場する熊谷直実(KUMAGAI Naozane)。
京都の扇屋に潜んでいた平敦盛の危急を直実が救う場面があり,
扇屋の名が王子の扇屋と同じなので,掛けている。
歌川広重 「江戸高名会亭尽 王子扇屋」 幕末の扇屋(Tea House at Ogee, Yedo) ベアト撮影
1856-58年
名物の「釜焼き玉子焼き」
値段は1260円(消費税込み)。大名にも供していたという。
現在の扇屋
このような料理茶屋は,貴族や特権階級の遊び場ではなく,
一般庶民の遊興のためにあったところが江戸時代の日本の面白いところ。
支配階級の武士の大部分は貧乏であり,
上記のような高級料亭には縁が薄かったのである。
宴会の様子 明治時代
【付録】 朝鮮時代の料理屋
酒幕 金弘道 18世紀
飲食店 朝鮮時代?
飯屋 撮影年代不明
(=´ω`=)y─┛~~