韓国人「慰安婦」の証言1【李玉善】
李玉善(イ オクソン)
【東大の学園祭での紹介】
http://minsei-komaba.hp.infoseek.co.jp/kikaku_frame.html
1927年日本の植民地だった韓国の釜山で6人兄妹の長女として生まれる。
10代前半で日本人とchosun人の男性2人に拉致され、中国で日本軍の「慰安婦」にされた。
戦後は中国に置き去りにされた。1999年に帰国し、「ナヌムの家」(元日本軍『慰安婦』が共同生活をおくる福祉施設、ソウル市内にある)に入居。以来、
聖書を読んだり、日本語の勉強をしながら、毎週水曜日、ソウルの日本大使館前で元「慰安婦」への賠償と謝罪を求める「水曜デモ」に参加している
【QAB琉球朝日放送での紹介】
http://www.qab.co.jp/01nw/05-10-14/index9.html
李玉善(イ・オクソン)さん。李さんは戦時中、旧日本軍にむりやり従軍慰安婦にさせられたひとりです。李さんは釜山生まれ。
15歳のとき、お使いに出かけ、路上で、日本人とchosun人のふたり組の男に突然、両脇を抱えられて連れ去られ、中国で慰安婦として働かされました。
【東京新聞での紹介】
http://www.tokyo-np.co.jp/kioku05/txt/20050729.html
軍慰安所の少女たちは皆、日本名で呼ばれていた。
十四歳の李玉善(イ・オクソン)さん(78)は、この呼び名が嫌いだった。
(中略)
朝鮮半島東南の海辺の町、蔚山(ウルサン)。買い物に出かけた李さんが突然、見ず知らずの男たちに捕まり町から連れ去られたのは一九四二年のことだ。貨物列車で連れて行かれたのは、
中国東北部、延吉の日本軍駐屯地に置かれた慰安所。管理人を名乗る男から着物と毛布を渡され、「これは借金だ。返すまで家には帰れない」と言われた。
【JANJANでの紹介】
http://www.janjan.jp/world/0401/040126574/1.php?action=tree&PHPSESSID=d4499a4bb06bba1c5043b1ac274ba74fl
李玉善さんは1927年釜山で6人兄妹の長女として生まれた。家が大変貧しくて学校に行きたくても行けなかった。
14歳の時、お金が稼げるし、学校にも行かせてやると言われ、飲み屋の養女として売られたが、仕事がうまくできないと雇い主からよく殴られた。その後李さんはその店を解雇され、
別の飲み屋に売られた。
ある日、店の人からお使いに出された時、
日本人とchosun人の男性2人に拉致され、行き先も告げられず無理やりトラックに乗せられた。李さんが到着した場所は
中国の延吉にある空軍部隊の飛行場だった。
【ナムヌの家】
http://excite.co.jp/world/korean/web/?wb_url=http%3A%2F%2Fwww.nanum.org%2Fsub7%2Dmain1%5Fg8.htm&wb_lp=KOJA&wb_dis=2
(自分の親の)学校を送ってくれるという話は真っ赤な嘘だった. 養女でもなかった. chosun人主人はあらゆる下動きはもちろんスルゾブデまでさせた. オックソンはお酒接待を拒否して二回も逃げてからブッザブヒョがなぐられたりした.
(中略)
朝鮮男 2人が手首をぱっと引っ張って
( ´∀`)「うそつきw」