独島(竹島)妄想BEST6!
1.「独島=于山島」論
元々、于山島とは鬱陵島の別名でしたが、16世紀以降は「別の島」と誤解されました。
その後、于山島は「幻の島」として朝鮮の地図上を迷子のように移動しています。
「この于山島が独島Nida!」と吹聴する論です。
日本の隠岐(Oki島)に漂着し、朝鮮に送還された漁民の安龍福は隠岐を于山島のように粉飾し、「于山島の倭人を追い出したNida!」と嘘を言いました。
こうした詐欺師の嘘を韓国は領有の根拠にしています。
しかし1899年の『大韓全図』という地図を見ると、于山島は鬱陵島の北東の島であるChukdoに決定されています。
2.「独島=石島」論
1900年に韓国は鬱陵島を郡に昇格し、その行政区域を「鬱陵島、Chukdo、石島」と規定しました。
「この石島が独島Nida!」という論です。
しかし『大韓地誌』には「郡の行政地域は東経130度35分から45分まで」と書かれています。
竹島(独島)は東経131度52分に位置します。
つまり「石島≠独島」です。
石島とは鬱陵島の北部の島である観音島の可能性が高いです。
3.「独島は鬱陵島の一部」論
「于山島」論と「石島」論が論破された韓国人が泣きながら叫ぶ論です。
当然、根拠はありません。
しかし、否定する根拠はあります。
「石島」論の研究で、1900年の鬱陵島郡の行政地域が「東経130度35分~45分」である事が分かりました。
竹島(独島)は東経131度52分です。
つまり「独島は鬱陵島の一部」ではありません。
自爆です。
4.「鬱陵島から独島が見えるから領土だ」論
仮に「見えた」としても、それは領有の根拠にはなりません。
しかし、一応、反論します。
日本最西端の島「与那国島」から台湾は110km、離れています。
与那国島から台湾が見えるのは、1年に4~5日です。
鬱陵島から独島(竹島)は92km、離れています。
「では年に10日くらいは見えるのでは?」と考えるのは間違いです。
台湾と独島(竹島)では、大きさが象と鼠くらい違うからです。
台湾は大きさは九州と同じであり、しかも4000mを超える山がある島です。
独島(竹島)は小さな岩礁です。
鬱陵島から独島は「殆ど見えない」と考えるのが妥当です。
また19世紀まで鬱陵島は「無人島」でした。
つまり「見える?見えない?」という議論以前に、「見る人がいなかった」のです。
5.「日本が独島を韓国領土として認めた」論
江戸時代まで、日本は鬱陵島の事を「竹島」と呼んでいました。
現在の竹島(独島)は「松島」と呼ばれていました。
この事を利用して、「鬱陵島は韓国の領土である」と書いた史料を引用し、「日本は竹島は韓国領土と言っているNida!」と吹聴する論です。
詐欺です。
6.「アメリカが認めた」論
戦後、アメリカは竹島(独島)等の島嶼を日本の行政区域から外しました。
これは「他国の領土」と認めた事ではありません。
「日本の行政権を停止する地域」という意味であり、アメリカが管理していました。
つまりサンフランシスコ講和条約で日本の領土が決定するまでの暫定的な措置です。
この暫定的な措置を曲解し、「アメリカは認めたNida!」と吹聴する論です。
詐欺です。
勿論、サンフランシスコ講和条約で竹島は日本に保全されています。
サンフランシスコ講和条約が「清書」であり、それ以前の全ての文書は「下書き」なのです。
全滅です!